代表インタビューInterview
【第3回】29歳で迎えた衆院選のチャンス。夢と現実を前に下した決断とは
人材派遣会社エヌエフエーを知るための社長インタビューの第3回。
第2回の記事では、新卒で入社した経営コンサルティング会社で学んだことや、地元・東大阪で開業してからの日々を取り上げました。 今回は政党から衆院選への立候補を提案された時の思い、エヌエフエーを創業するまでの経緯を深掘りします。 (5回連載の第3回)
―― 地元で経営コンサルタントとして働きつつ選挙の出馬準備をしていたなかで、衆院選候補として声がかかりました。二つ返事で受けたのではないですか。
衆院選に出ないかと言われたときは本当にうれしかったですね。でも一つ、とても大きな問題がありました。提案された選挙区が東大阪ではなく、行ったこともない遠くの地方の県だったんです。
親戚もいなければ住んでいたこともありません。縁もゆかりもない土地での出馬は想定していませんでした。私に声をかけてくれた政党は野党で、その選挙区に独自候補を擁立できていなかった。与党は現職がすでに立候補を決めていたため、このまま誰も立てられなければでは不戦敗になってしまいます。そこで私に白羽の矢が立ったというわけでした。勉強会で出会った仲間たちの多くが、私と同じように地縁も血縁ない選挙区での出馬を打診されていましたね。
―― 最終的に出馬されたのですか。
この選挙に勝てば夢だった政治家になれます。でも負ければこれまで必死で貯めてきた出馬費用の2000万円はすべて消えてしまう。そうなればまたゼロから貯め直しです。
簡単には決断できませんでした。そこで選挙区の状況や相手候補のことを徹底的に調べました。相手はその選挙区で連戦連勝をしていて、地盤ができていました。調べれば調べるほど、落下傘候補の私に勝ち目はないことが明らかになっていきました。ものすごく悩みましたが、出馬は断念しました。
―― ほかの選挙区に出馬した仲間たちはどうなりましたか。
ほとんどの仲間は、党から打診された選挙区への出馬を決めていました。私のように相手候補について詳しくリサーチすることもなく、即決だったようです。負けるとわかっているのに、なぜ突撃していくのか、まったく理解できませんでした。
そこで私と年齢が近く、特に仲が良かった仲間に出馬を決めた理由を聞いてみました。彼の相手候補は現役の大臣で、勝てる可能性はゼロに等しかった。でも彼は自信満々にこう言ったんです。「俺が出馬するのだから、勝つに決まっているだろう」。
選挙結果は予想通り、ほぼ全員が落選しました。ところが二人だけ、当選したんです。そのうちの一人が現役の大臣と争った彼でした。比例復活当選でしたが、彼は夢を叶えて国会議員になりました。
自分はロジカルに考えて出馬を見送ったけれど、下調べもせず出馬をした仲間は比例復活当選だろうが何だろうが当選した。その様子を見て、「自分には無理だ。彼と同じ事はできない」と思ったんです。そこで政治家になるという夢は諦めました。

―― 子どものころからの夢を断念したことで、心に大きな穴が空いたのではないでしょうか。そこからどのように気持ちを切り替えていったのですか。
追いかけ続けた夢を失い、これから自分は何を目指していけば良いのか悩みました。経営コンサルタントを続ければ、なんとか食べていくことはできるかもしれません。でもこのままでいいのかと思ったんです。
そもそも政治家を目指したのは「社会を変えたい、良くしていきたい」と思ったからです。私一人でできることは限られています。一方で大企業の場合、社長の決断や行動は社会に大きなインパクトを与えます。政治家にはなれなかったけれど、大企業の社長になればビジネスの面から社会貢献できるかもしれない。
手元には選挙資金として貯めていたお金がありました。そこでその資金を使って、経営コンサルティングとは違う分野で起業をして、その会社を大きくしていこうと思ったんです。そして2006年10月、人材派遣会社のエヌエフエーを設立しました。
―― 新たな事業として人材派遣業を選択した背景を教えてください。
コンサルタントとしての経験から、事業を大きくしていくためには、扱う商品・サービス選びがカギになるとわかっていました。そこで二つの基準をもとに事業分野を選定しました。
一つ目は、「社会に常に必要とされている」という点です。スマートフォンや日用品のように、みんなが日常的に使うものの場合、社会である程度の認知を獲得できれば必死に営業をかけなくても自然と売れていくし、売上規模も大きくなります。
二つ目は、「リピートされる」という点です。使い切ったら買う、人手が必要だから継続して雇うなど、なければ困るものは繰り返し利用します。そのためリピートされる商品・サービスであれば、売上も安定すると考えました。
いろんな商材をリサーチしていたときに、たまたまコンサル先から「人材派遣業の今後の成長性についてどう思うか」という相談を受けたんです。企業にとって、人材は営業を続けていくために欠かせません。人材にとっても、仕事は生活費を稼ぐために必須です。また人材派遣では契約期間が1年でも更新が繰り返されて結果的に長期間の派遣となる珍しくありません。つまり二つの基準を満たしているんです。

―― 事業の成長可能性を考慮して、慎重かつロジカルに人材派遣業を選んだのですね。
もちろん気持ちの部分でも人材派遣業に魅力を感じました。社会にはやりたいことがあっても「お金がない」「時間がない」「休みがとれない」といった理由で我慢している人は多い。派遣社員はアルバイトでも正社員でもない中間的な働き方ができるため、「やりたい」を実現するにはぴったりです。人材派遣業は営めば、そのチャレンジを後押しできると思いました。
またこれは私情なのですが、2002年に経営コンサルタントとして大阪産業創造館「あきないえーど」から表彰を受けることができました。ですが失業中だった妹に「私の仕事も見つけられないような人でも、表彰されるんだ」なんてことを言われたんです。それがずっと心に引っかかっていました。人材派遣業ならあのときの妹と同じような状況の人をサポートできます。
社名は「あなたに必要なものを提供する会社」という意味で、「This company is Need For You(Anata、あなた)」の頭文字を取って「エヌエフエー(NFA)」に決めました。