代表インタビューInterview
【第2回】経営コンサルタントとして奮闘。政治家になる夢を叶えるために東大阪で独立開業
人材派遣会社エヌエフエーを知るための社長インタビューの第2回。
第1回の記事では、大崎社長の子ども時代、大学での活動などを振り返り、エヌエフエー創業の前に抱いていた「政治家になる」という夢を見つけた経緯を振り返りました。
今回は経営コンサルタントとして働き始めてから、政治家になるために独立するまでの道のりを紹介します。
(5回連載の第2回)
―― 大学卒業後は東京で経営コンサルティング会社「日本エル・シー・エー」に就職しました。入社後はどのような業務を担当したのですか。
入社1年目は先輩のカバン持ちのような仕事をしていましたね。先輩と一緒に取引先を回って、主に会議の議事録やセミナー資料などを作成していました。なんとかかんとか日々の仕事をこなしていたところ、入社から4カ月目に、いきなり洗礼を受けることになりました。
一緒に取引先を訪問する予定だった常務から突然連絡があり、「別件で行けなくなったので、一人で行ってきてほしい」と言われたのです。断るわけにもいかず、一人で取引先の役員会に出席しました。でですが次々と報告される経営に関する数字も飛び交う用語も、全く理解できませんでした。戸惑っていたところ、いきなり「大崎先生のご意見を聞かせてください」と話を振られたんです。
大学を卒業したばかりの若者が、父親くらいの年齢の役員たちに適切な経営アドバイスなんてできるわけがありません。ひどい回答をしてしまい、取引先から厳しく叱られました。そのときに「ちゃんと経営の勉強をしないとダメだ」と強く思わされましたね。
―― 入社から半年足らずで取引先からの厳しく叱責されたことは衝撃的な体験でしたね。
おそらく、この一件はすべて仕組まれていたのだと思います。その取引先は常務との付き合いが長かったので、常務は取引先に役員会で私を厳しく指導するように頼んだのだと思います。 そのときはかなり落ち込みましたが、おかげでやる気に火が付きました。それからはコンサルティングに関する本を読んだり先輩が作成したレポートを読んだり、必死で勉強しました。

―― 経営コンサルタントの仕事の魅力、また大変だと感じた点を教えてください。
私は主にクライアントの生産性改善を担当していて、スーパーマーケットにシフトの効率化を提案したり、メーカーに対してはコストダウンのアドバイスをしたりしていました。コンサルした企業が業務効率化や売上アップを達成し、「大崎さんのおかげです」と感謝してもらえたときはうれしかったですね。いろんな会社の内情を知ることができる点も、コンサルタントならではの仕事の魅力でした。
ただ仕事は非常に忙しく、いきなり「明日の講演のレジュメを準備しておいて」なんて仕事を振られることも珍しくありませんでした。当時はワークライフバランスという言葉を口にする人はおらず、徹夜で仕事をするのが当たり前でした。でも私は「絶対に家で寝る!」と決めていて、毎日終電に飛び乗って意地でも徹夜はしていませんでした。
ところがある日、ついに徹夜仕事になってしまったんです。すると翌朝、先輩に無言で握手を求められました。「こちら側へようこそ」という意味だったんでしょうね(笑)。
正直、いつも辞めたいと思っていました。でもわずか1年程度の知識と経験では、経営コンサルタントとして独立しても食べていけません。だからせめて3年はここで学ばせてもらおうと覚悟を決めました。
1年目は上司の同行ばかりでしたが、2年目には1人で取引先を訪問することが増え、3年目には新規営業もするようになりました。若気のいたりですがコンサルタントとして「もしかして一人でもやっていけるかもしれない」と思うようになっていました。
―― 最終的に独立を決断したきっかけを教えてください。
独立を決めた一番の理由は、収入です。入社前に選挙出馬費用として2000万円を貯めることを目標にしていましたが、入社から3年が経ってもそれが達成できていませんでした。財務諸表などが読めるようになるなど、企業経営に関する知識がついたことで、いつごろ資金が貯まるのかめどは付いたのですが、もっと早く貯めたかった。そのときふと気づいたんです。
会社員をしている限り、自分がどれだけ会社の利益に貢献したとしても利益は会社と折半です。例えば2000万円の利益をつくっても、本人が年俸として受け取るのは600万円といった具合です。ですが独立して一人で仕事をした場合、利益は誰とも折半する必要はないため、すべて自分のものになります。実際には経費などがかかるため全額を受け取れるわけではありませんが、このまま会社勤めをしているよりも、独立した方が早く2000万円を貯められると思ったんです。
仕事内容や会社に不満があったわけではありません。会社のことは大好きだったし、今でも私を育ててくれたことに感謝しています。でも政治家になるためには、独立するのが最善でした。そこで1999年に日本エル・シー・エーを退職したんです。

―― 退職後はすぐに経営コンサルタントとして独立したのですか。
そうですね。たまたま知り合いだった会社が複数あったので、そのサポートをしながら、中小企業診断士の資格取得を目指しました。2000年に無事合格し、出身地である東大阪で経営コンサルタントとして活動を始めました。
家を出たいと東京の大学に進学してそのまま東京で就職しましたが、選挙は地元の選挙区から出馬したかった。選挙のためにも地域で働いていた方がいいと思い、戻ることにしたんです。
独立後はともかく毎日あちこち駆け回って顧客開拓に努めました。最初は苦戦しましたが、徐々に仕事が増えていき、収入も前職を超えました。目論見通り、選挙資金も着々と貯まっていきました。
―― 仕事が順調な一方、政治家になるための活動はしていたのですか。
今政党の勉強会に参加するなどして、同じ志を持った仲間たちとともに学び、必要な知識をつけていきました。「最初は市議選から」と思っていたのですが、それを実行する前に政党から「次の衆院選に出馬しないか」と声をかけられました。2002年、29歳のときのことです。ついにチャンスがめぐってきたんです。