東京都大田区創業のPEO型人材派遣会社
あなたにとって必要な会社「15分以内の人事部」

代表インタビューInterview

【第1回】「社会を変えたい、時代を大きく変えるようなことがしたい」子どものころに抱いた夢

働きたい人には仕事を、人材を必要としている企業には人材を。

それぞれが「本当に必要としているもの」を提供するという理念のもとで事業を運営している人材派遣会社エヌエフエー。

日本では珍しい「PEO(Professional Employer Organization、習熟人材雇用組織)」というモデルを独自に取り入れて、派遣社員に働きながらスキルアップできる機会を提供。また地域密着を大事にし、地域の企業に地域の人材を派遣し、派遣先からも派遣社員からも支持されています。
ですが2006年10月の創業以降、ここまでの道のりは平坦ではありませんでした。リーマンショックや東日本大震災、派遣先の料金未払いなど数々の危機に直面。「倒産」という言葉が現実味を帯びたときも、会社と社員、そして派遣社員を守るためにあらゆる手を打ち事業を立て直し、その後の成長へとつなげてきました。
そのあゆみを、大崎玄長社長へのインタビューから紐ときます。

初回の本記事では、創業者である大崎社長自身について紹介します。(5回連載の第1回)

―― 社長のプロフィールを簡単に教えてください。

1973年に大阪府で歯科医の父と専業主婦の母のもとに生まれました。4人兄弟の長男で、妹が3人います。父は昔気質の厳しい人で、幼いころは勉強ばかりさせられていましたね。小学校受験をして大阪教育大学付属天王寺小学校に入学し、そのまま高校まで内部進学しました。 習い事もスイミングや剣道などのスポーツ系をいろいろ挑戦しましたね。小学5年生のときにはパソコンを買ってもらいました。その時代ではかなり早かったと思います。でも友だちが持っていたゲーム機は買ってもらえず、パソコンでゲームをしたりプログラミングをしたりしていました。

―― その中で現在の自分の基礎になっているものはありますか。

習い事はたくさんやりましたが、一番好きだったのはそのどれでもなく、読書でした。中でも歴史の本にハマり、毎日夢中で読んでいましたね。そのおかげで中学・高校の歴史のテストはいつも満点。大学生のころには読みたいと思う本はほとんど読み尽くしてしまっていたため、「そういえばどちらが勝ったのだろう」と思って応仁の乱の時代や、古墳時代など少しマニアックな時代の本にも手を出すようになりました。

読書する大崎代表

―― 政治家という夢を見つけて、その後はどのような学生時代を過ごしましたか。

「政治家になりたい」と思ったのは高校卒業前ぐらいなので順番は逆になりますが、高校2年生からは友人に誘われて学校の自治会活動を始めていましたね。文化祭では文化祭の委員を務め、演劇にも出演。主役に憧れはありましたが、この顔だからかいつも回ってくるのは敵組織の親玉などの悪役ばかり(笑)。でも「悪役ハマってたよ!」と褒められるとうれしくて、ノリノリでやっていましたね。
自治会活動で人をまとめたりイベントで話をしたりする機会も多かったため、自然と人前に立つことが苦にならなくなっていきました。そうしたこともあって「政治家になりたい」と思うようになったのかも知れませんね。

―― 高校までは内部進学だったそうですが、高校卒業後の進路を教えてください。

実家を出たいという思いが強かったので、東京の大学を当時の偏差値順に受験しました。政治家の出身学部を見ると法学部が多かったので法学部を中心に出願して、なんとか中央大学法学部に進学できましたね。
大学でも自治会活動を続けたかったのですが、中央大学には純粋な自治会組織がありませんでした。そこで自治会としての役割も持っていた「文化連盟」に入りました。ほかに弁論部にも入っていました。ビギナーズラックか初めて出場した大会で優勝などいくつか大きな賞も受賞しました。弁論部で培ったスピーチスキルは、文化連盟の活動で大勢の前で話をするときに大いに役立ちました。

―― 自治会活動に打ち込みつつ、就職活動はどのように進めましたか。

文化連盟では最終的に委員長を務めました。学内でいろんな活動をしていたため、それなりに顔と名前が知られるようになり、そのおかげか就職氷河期だったにもかかわらず、たくさんの卒業生から「ウチの会社に来ないか」「就職試験だけでも受けてくれ」とお誘いをいただきました。とりあえず面接を受けてみるとトントン拍子に進み、大手証券会社の最終面接では「今この場で他社に内定辞退の連絡を入れたら内定を出します」なんて言われたこともありましたね。
でも最終的にすべて断りました。というのも紹介で入社すると相手に気を遣ってしまい、政治家になれるチャンスが訪れたときに、すぐに会社を辞められないと思ったからです。
文化連盟の先輩には政治家になった人もいて、「卒業したらそのまま自分の秘書にならないか」という提案もいただいていたのですが、それも断りました。
秘書になれば政治家の仕事を近くで見られるため勉強になるし、自分が出馬する際にも支援してもらえるため、将来的に政治家になれる可能性は高くなります。ですが秘書は社会人を経験した後でもなれます。一方、新卒で企業に就職できるのは一度だけです。それに国政選挙に出るためには最低でも2000万円ほどの資金が必要です。お金を稼ぐという観点でも、まずは一般企業に就職するのがベストだと考えました。

商店街を歩く大崎代表

―― 紹介ではなく自分で就職先を探し、最終的にどこに就職したのですか。

今のように就活情報サイトなどはない時代なので、情報はアナログで集めていました。下宿先にはさまざまな企業から説明会のお知らせなどが届いたのですが、その中に「日本エル・シー・エー」という経営コンサルティング会社があったんです。「経営コンサルタント」という仕事はそれまで知らなかったので、とりあえず説明会に行ってみたんです。すると事業成長をサポートする大事な仕事で、会社の裏側を知ることもできて、とても面白そうだった。そこで就職試験を受けて無事内定をいただき、1996年春に日本エル・シー・エーに入社しました

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